名称の問題はさておいて、ちょっと注目したいのが銭湯のもうひとつの顔のことである。江戸時代後期には、江戸の人々は毎日湯に入るのが習慣で、また、内風呂は武家住宅だけで、商家には内風呂を備えたものは少なく、大半の人々が銭湯に通ったという。その銭湯は、当然ながらお湯に浸かってサッパリするという場とともに湯上がりに男風呂の二階には座敷があって、飲んだり食べたり、碁や将棋を指したりという娯楽の場でもあった。また、銭湯で興味深いのは、江戸は古くから男女別々に入っていたが、大阪では男女混浴で、寛政の改革(一七八七〜九三年)で男女別ができたが完全な分離ではなかったという。男女の混浴には、大阪のほうが寛容であったようで、そうした伝統は今でも性風俗の独特のアイデアに生きているようにも思える。話が横道に逸れてしまったが、ここでいいたいのはお風呂が、単に体を洗うためだけの場ではなく、遊びの要素を兼ね備えていたということ。こうした意識は、古代ローマ時代の大浴場文化に似ているかもしれない。ローマ時代の大浴場は体育館や図書館などを併設した一大娯楽センターであったからである。西欧ではお風呂の娯楽性という文化がローマで途絶えたが、日本は、明治以降も娯楽性を兼ね備えたお風呂文化は続いてきたように思う。そうした意識が、お風呂は寝室に併設するものという西欧的な感覚を拒否してきたし、お風呂をできるだけ楽しもうとする行為のみなもとになっているように思える。
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