七、八年前のことですが、ある地方の町で、役場の庁舎の建て替えが計画されました。町の当局は、とうぜんのように鉄筋コンクリート造にすることで計画を進めていました。ところが、その町は日本有数の木材の産地なので、町内の有志が集まって「新庁舎はぜひ木造に」という運動をおこしました。そんなとき、たまたま近くでミニ学会があったので、ついでに有志たちの勉強会に出席させてもらいました。そのときあらためて思い知らされたのは、同じ「木造」にしたいといっている人たちのあいだでも、どんな木造か、あるいはどんな木を使った建物かという点になると、まるでてんでんばらばらな考えをもっていることです。
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ある人は、木造といっても、現時点で町役場のような大規模木造を建てるとなると、とうぜん、柱や梁には集成材を使うことになると考えています。それに対して別の人は、木造というからには無垢の木でなくては意味がない、木を接着剤で貼り合わせたようなものは「木」ではないと思いこんでいるようすです。木造ファンの同床異夢です。鉄筋コンクリート造や鉄骨造なら、デザイン(意匠)の好き嫌いはあっても、材料や構造そのものについて、このような見解のちがいはありません。これは、コンクリートや鉄(鋼)が西洋近代の産物でしかも無機質な材料なので、わたしたち日本人も理性的に対応できるのに対して、木造建築や木のことになると、古来それらになじんできた日本人は、どうしても心情的に反応してしまうからだと思います。